賃上げの原資、どこから出すんですか?
——「給与を上げても潰れない」在宅クリニックの数字設計5つ
「スタッフの給与を上げてあげたいけれど、その原資をどこから出せばいいのか分からない」「物価も上がって、上げないと人が辞める。でも上げたら経営がもたない」——訪問診療クリニックを経営する院長先生から、こうした声をよく耳にします。
人材が採れない、辞めてしまう——在宅医療の現場でいちばん深刻な悩みは、いつも人にまつわるものです。そして、その解決策として真っ先に思い浮かぶのが「賃上げ」です。けれど、賃上げは一度上げたら下げられません。勢いで上げて、あとから原資が続かずに苦しくなる——そんなクリニックを、私は何度も見てきました。
今日お伝えしたいのは、賃上げを「気合い」や「その場の判断」でやるのではなく、原資の出どころを設計したうえで、給与を上げても潰れない仕組みに変える、という話です。スタッフを大切にすることと、経営を守ることは、数字の設計によって両立できます。
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なぜ「賃上げの原資」でつまずくのか
賃上げの原資づくりでつまずく背景には、主に3つの理由があります。
1つ目は、賃上げを「単年度の出費」として捉えてしまうことです。今年いくら上げるか、という発想だけだと、来年も再来年も続く固定費の増加が見えません。賃上げは、その後ずっと効いてくる累積の負担です。単年で考えると、必ずどこかで息切れします。
2つ目は、使える制度を正しく使い切れていないことです。在宅医療には、賃上げの原資に充てられる仕組みが用意されています。それを知らない、あるいは算定の手続きが分からないまま、自前の利益だけで賃上げをしようとして苦しくなる——もったいない状態です。
3つ目は、「上げ幅」を全員一律で考えてしまうことです。物価高に合わせて全員を同じだけ上げると、原資はあっという間に膨らみます。誰に、何のために、どれだけ配分するのか——その設計がないと、賃上げは満足度を上げるどころか、不公平感だけを残すことすらあります。
背景——「上げざるを得ない」時代の制度
近年、医療・介護の現場では、賃上げが強く求められるようになりました。物価の上昇に賃金が追いつかず、他産業との待遇差が人材流出を招いている——この問題意識から、診療報酬の側にも賃上げを支える仕組みが設けられています。
その代表が、2024年度の診療報酬改定で新設された、外来・在宅ベースアップ評価料です。これは、医師・歯科医師を除く看護職員や薬剤師、その他の医療従事者の賃金を引き上げるための原資として、診療の算定に上乗せできる仕組みです。賃金改善を実際に行うことが算定の条件であり、いわば「賃上げに使うことを前提に受け取る報酬」です。
つまり、賃上げの原資は、すべてを自院の利益から捻出しなければならないわけではありません。制度を正しく使えば、その一部を診療報酬で支えることができる——まずこの前提を押さえることが、設計の出発点になります。
給与を上げても潰れない、5つの数字設計
当院が試行錯誤の末にたどり着いた、賃上げの原資設計を5つに整理します。
1. まず「ベースアップ評価料」を正しく算定して原資の柱にする
最初にやるべきは、使える制度を使い切ることです。外来・在宅ベースアップ評価料は、対象職種の賃上げに充てることを前提に算定できます。自院が算定できているか、対象の職員に正しく届いているか——ここを点検するだけで、自前の利益から出す負担が変わります。制度は申請と要件の管理が要りますが、ここを右腕の事務スタッフと整えることが、原資の柱になります。
2. 賃上げと「算定漏れの解消」をセットで考える
賃上げの原資は、新しい収入だけでなく、取りこぼしていた収入を取り戻すことからも生まれます。在宅医療は加算が複雑で、算定漏れが起きやすい領域です。本来取れていた加算を見直すだけで、月に数万円、年にすればまとまった額が戻ることも珍しくありません。新たに稼ぐ前に、すでに自院がやっている診療の対価を取り切る——これが現実的な原資づくりです。
3. 「上げ幅」は一律でなく、評価制度と連動させて配分する
原資には限りがあります。だからこそ、全員一律ではなく、何を評価して配分するのかを決めます。たとえば、夜間対応を担う人、後輩を育てる人、長く勤めてくれる人——自院が大切にしたい働きに報いる形で配分する。評価の基準を見える化しておけば、同じ原資でも納得感がまるで違い、不公平感による離職を防げます。
4. 固定費を見直して、賃上げの「体力」をつくる
賃上げという固定費を増やす前に、別の固定費を見直して体力をつくります。使っていないシステムの契約、重複する保険や保守費用、移動の多いルートによる燃料費——一つひとつは小さくても、積み上げれば賃上げ原資に回せます。支出を絞ることは我慢ではなく、人に回すお金を生み出す前向きな作業です。
5. 賃上げを「採用・定着への投資」として数字で語る
最後は、考え方の設計です。賃上げを単なるコストと見ると、上げるたびに苦しくなります。けれど、人が一人辞めれば、採用広告や教育に数十万円規模のコストがかかり、残ったスタッフの負担も増えます。賃上げを「離職を防ぐ投資」と捉え、離職コストと並べて数字で語る。そうすれば、賃上げは守りの出費ではなく、攻めの投資に変わります。
まとめ——賃上げは「気持ち」ではなく「設計」で続ける
給与を上げたい気持ちは、どの院長先生にもあります。けれど、気持ちだけで上げた賃上げは、原資が続かず、いつか自院とスタッフの両方を苦しめます。大切なのは、上げる前に、どこから出すのかを設計しておくことです。
ベースアップ評価料を柱にする、算定漏れを取り戻す、配分を評価と連動させる、固定費を見直す、離職コストと並べて投資として語る——この5つを整えるだけで、賃上げは「潰れる賃上げ」から「続く賃上げ」に変わります。
今日からできる最初の一歩は、自院がいま外来・在宅ベースアップ評価料を算定できているか、対象の職員に正しく届いているかを、事務スタッフと一緒に確認することです。原資の柱が立っているかを知ることが、続く賃上げの出発点になります。
戦わない在宅医療——それは、他院との待遇競争に消耗することではなく、自院の数字を設計し、限られた原資を大切な人に確かに届けながら、長く一緒に働き続けられる土台を守ることでもあります。
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賃上げを単なる「単年度の出費」や感情的な判断にせず、長期的に続く累積の固定費として捉え、その原資を多角的なシステムから設計していく視座に深い納得感を覚えました。
新たに無理な売上を追う前に、ベースアップ評価料の確実な算定や、既存の「算定漏れの解消」といった足元の取りこぼしを回収することから原資の柱を組み立てるロジックは、極めて現実的で実務的なアプローチです。「スタッフを思う気持ち」を継続させるためにこそ、緻密な数字の設計が必要であるという本質がクリアに腑に落ちました。