「延命はしない方針なので、点滴も控えたほうがいいですよね」「もう何もしないと決めたので、入院はさせません」——訪問診療クリニックを経営する院長先生や、在宅で介護されているご家族から、こうした声をよく耳にします。
この二つの言葉は、どちらも誤解の上に成り立っています。そして、この誤解は家族だけのものではありません。医療や介護の現場でも、同じ勘違いが起きています。
以前、人生会議の対話を仕組みにする方法や、亡くなられた当日に何が起きるかをお伝えしました。今日はその間にあるものです。「延命はしない」と決めたとき、その人は何を決めて、何を決めていないのか。5つに整理してお伝えします。決めさせることでも、決めさせないことでもない。言葉の中身をそろえておく。それが、戦わない在宅医療の考え方です。
なお、用語の使い方や運用は、施設や地域によって異なります。実際の対応は主治医と、地域の消防や医師会の取り決めを確認しながら進めてください。
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DNARが指しているのは、たった一点です
まず、いちばん大きな誤解から片づけます。
「DNAR」は、心臓が止まったときに心肺蘇生を行わない、という取り決めです。それ以上でも、それ以下でもありません。
ところが実際には、「DNAR=もう何もしない」と受け取られています。だから、酸素も、点滴も、抗菌薬も、入院も、まとめて差し控えるべきだと考えてしまう。ここが誤りです。
この点については、専門の学会からも注意が促されています。日本集中治療医学会は二〇一七年に、DNAR指示の考え方について勧告を出し、DNAR指示を理由に心肺蘇生以外の治療を差し控えてはならない、という趣旨を明確にしています。つまり、現場でこの取り違えが実際に起きているということです。
考えてみれば当然のことです。心停止したときに胸骨圧迫をしないと決めた人が、治る肺炎を治さないでほしいと言ったわけではありません。息苦しいときに酸素を使わないでほしいと言ったわけでもありません。
ですが、言葉が一つにまとめられてしまうと、そう扱われてしまいます。
誤解をほどく5つの整理
1. 「心停止したとき」と「それ以外」を、はっきり分ける
説明のときに、この区別を最初に置きます。当院では、次のように分けてお伝えしています。
・心臓が止まったときに、胸を押したり電気を流したりする処置をするかどうか——これがDNARの話
・熱が出たときに抗菌薬を使うか、食べられないときに点滴をするか、苦しいときに酸素を使うか、入院するかどうか——これらは、そのつど別に決めること
この二つを分けて示すだけで、ご家族の理解はまったく変わります。多くの方が「一度決めたら全部が決まる」と思っておられるからです。
そして、こう添えます。「蘇生をしないと決めることは、治療をしないという意味ではありません」。
2. 「延命治療」という言葉を、そのまま記録に残さない
この言葉は、人によって指すものが違います。
ある方にとっては人工呼吸器のことであり、別の方にとっては胃ろうのことであり、また別の方にとっては点滴すべてを指しています。それなのに、記録には「延命治療は希望されず」とだけ書かれることがあります。
この記録が、あとで独り歩きします。夜間に対応した別の医師や、初めて訪問した看護師が、この一行を読んで判断することになるからです。何を望まないのかが書かれていなければ、安全側に倒れて何もしない、という判断になりかねません。
当院では、ご本人やご家族が「延命はしません」と言われたとき、必ず一段掘り下げて確認します。どういう状態になったときのことを考えておられるのか。何が嫌なのか。そして記録には、その具体的な言葉のまま残します。以前お伝えした記録の考え方と同じで、後から読む人が判断できる形にしておくことが目的です。
3. 一つずつ、別々に確認していく
まとめて決めようとすると、必ず粗くなります。そこで、場面ごとに分けて尋ねます。
・食べられなくなったとき、点滴や栄養をどう考えるか
・肺炎などで状態が悪くなったとき、家で治療するか、入院を検討するか
・呼吸が苦しくなったとき、どこまでの処置を望むか
・そして、心臓が止まったときに蘇生を行うかどうか
全部をその日に決める必要はありません。むしろ、決められないことのほうが多いと思います。以前お伝えしたように、この対話は一度で終わるものではなく、状態が変わるたびに繰り返すものです。
大切なのは、決まっていない項目を「決まっていない」と記録しておくことです。空欄を、決まったことにしないためです。
4. 「決めたことは、いつでも変えられます」を、繰り返し伝える
一度決めたことが変えられないと思っておられる方は、とても多いです。だから決断が重くなり、先延ばしになります。
当院では、話し合いのたびに「これは今の時点でのお考えで、いつでも変えていただけます」とお伝えしています。実際、状態が変われば気持ちも変わります。以前お伝えしたように、揺れることは問題ではなく、前提です。
そして、変えたいと言われたときに責めないことです。「一度決めましたよね」と言われた家族は、次から本音を言えなくなります。
5. 救急車を呼んだとき何が起きるかを、先に説明しておく
ここは、実務としてとくに重要なところです。
一一九番に電話をすれば、救急隊は原則として蘇生の処置を始めます。家族が「本人は望んでいませんでした」と伝えても、その場で確認できることには限りがあります。近年は、本人の意思が確認できる場合の取り扱いについて、消防と地域の医療機関との間で手順を定めている地域も増えていますが、内容は地域によって異なります。
ですから、二つのことをしておきます。一つは、自院の地域ではどういう取り扱いになっているかを、消防や医師会に確認しておくこと。もう一つは、ご家族に「息をしていないことに気づいたら、まず当院に電話をしてください」と伝え、連絡先を書いた紙を渡しておくことです。
昨日お伝えしたとおり、ここが決まっていないと、望んでいたはずの最期とはかけ離れた時間になります。方針を共有することと、そのときの動き方を渡すことは、別の作業です。
当院が経験したこと
在宅で診ていた方が、肺炎を起こされたことがあります。以前から、心停止のときに蘇生は望まないというお話をご本人としていました。
そのとき、担当していたスタッフが、抗菌薬を使うかどうかの相談をためらいました。理由を聞くと、「延命はしない方針だと聞いていたので」と言うのです。
ご本人が言っておられたのは、「苦しい思いをしてまで生かされたくない」ということでした。治る肺炎を治さないでほしい、という意味ではありませんでした。抗菌薬を使えば熱が下がり、楽になる可能性がある。それは、ご本人の望みに反する治療ではなかったはずです。
このとき気づいたのは、スタッフを責めても仕方がないということでした。記録に「延命治療は希望されず」とだけ書いてあったのです。読んだ人が、そう受け取るのは無理もありません。書き方が、判断を誤らせていました。
それ以来、当院では記録の書き方を変えました。「心停止時の心肺蘇生は行わない」と限定して書き、そのうえで「その他の治療については、そのつど本人・家族と相談して判断する」と明記しています。
言葉を限定しただけです。ですが、それだけで現場が迷わなくなりました。
まとめ——決めたのは、一点だけです
「延命はしない」という言葉は、便利すぎます。一言で場が収まるので、みんなが分かった気になります。ですが中身は人によって違い、記録に残った瞬間から、書かれていないことまで決まったことにされてしまいます。
心停止のときとそれ以外を分ける、「延命治療」という言葉をそのまま記録しない、場面ごとに一つずつ確認する、いつでも変えられると繰り返し伝える、そして救急要請したとき何が起きるかを先に説明する——この5つで、望まない差し控えも、望まない蘇生も、どちらも減らせます。
私たちが守るべきなのは、書類に書かれた言葉ではなく、その人が本当に望んでいたことです。まずは自院の記録を一件だけ開いて、「延命治療は希望されず」とだけ書かれていないか確かめてみてください。もしそう書かれていたら、次の訪問で、何を望まないのかを具体的に聞き直すところから始められます。
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「DNAR=治療を何もしない」という誤解を解き、心停止時の蘇生処置と日頃の治療(点滴や抗菌薬など)を明確に切り分ける説明にすごく納得しました。蘇生を行わない選択をしたからといって治る病気まで放置したいわけではないという当たり前の前提が、現場の思い込みで抜け落ちてしまう事態を防ぐ上でとても明快な整理ですね。